映像が投げかける問い

ゴフ・ウィットラム元首相の1975年解任から50年が経ちました。今回はガーディアンに寄せられたピーター・ルイスの寄稿を通して、あのときの映像が今の政治にどんな問いを投げかけるかを見ていきます。

ルイスは自らが解任を直接見た世代ではないと明かしますが、父親がテレビの前に子どもを座らせたという個人的な記憶を語ります。家庭で共有された映像や会話が、次世代の政治意識を形作る――そんなシーンから話は始まります。

映像と家族の記憶が伝えるもの

映像は単なる記録ではありません。家族の語りと結びつくことで、公的な記憶になります。1975年の解任はオーストラリアにとって転換点でしたが、その「見た瞬間」の記憶は、次の世代にも政治的感受性を伝えます。

こうした個人的な体験は、政治を抽象論で終わらせず、日常の判断へとつなげます。映像をもう一度見る行為は、過去を現代に翻訳する第一歩です。

ウィットラムの価値観を現代にどう活かすか

ルイスはウィットラムの価値観が、アンソニー・アルバニージ首相率いる現政権にも示唆を与えると述べます。ここで重要なのは、理念をそのままコピペするのではなく、現代に“翻訳”することです。

ウィットラムの核心は、公共性の重視、透明性、専門家参加の尊重といった点にあります。これらを、今日の制度や情報環境に合う形で再設計する必要があります。

記事が指摘する「技術課題」とは何か

ルイスはアルバニージ政権が「1970年代以来の大きな技術課題」に直面していると書きますが、寄稿内では具体の言及はありません。ここで言う「技術課題」は明確でないため、まず定義が必要です。

一般に考えられるのは、デジタル化、エネルギー転換、気候変動対応といった分野です。これらは1970年代とは質が違います。情報流通の速度や国際的な相互依存が増え、制度設計の前提も変わりました。

1970年代と今――変わったこと、変わらないこと

変わった点は明確です。情報の拡散速度、グローバルな影響力、科学技術の進展。逆に変わらないのは、公共性を守るという課題です。

だからこそ、ウィットラムの精神を現代に活かすには、原則を守りつつ手法を変える工夫が求められます。例えるなら、古い羅針盤の方針は同じでも、航海に使う地図と船は新しくする必要がある、ということです。

現実的な落としどころ――具体的提言

過去の価値をそのまま懐かしむだけでは意味がありません。実務に落とし込むことが肝心です。具体的には次のような方策が考えられます。

  • 政策決定過程の透明化を制度的に強化する(例:公開データの拡充、説明責任の明確化)。
  • 専門家と市民の参加機会を増やす(専門家会議の公開、住民参加の仕組み)。
  • 公的利益を守るための監視メカニズムを設ける(独立機関や監査の強化)。

これらは単なる理想論ではありません。現代の技術や制度を前提に、ウィットラム流の原則を具体的に運用するための実務案です。

結び:問いは羅針盤になり得る

「ウィットラムなら何をするか」という問いは、過去を振り返るだけの愉しみではありません。現代の政策設計を考えるための羅針盤になり得ます。

ただし重要なのは、その問いをどう翻訳し、どのように現実の制度と政策に落とし込むかです。曖昧なままの価値観はノスタルジーに終わります。議論と説明責任を通じて、歴史の教訓を現代の行動につなげること――それが今問われているのです。